どなたもどうかお入り下さい
決してご遠慮はいりません
黒板に書かれた見覚えのあるフレーズににやりとしながら、赤い梁が印象的なその喫茶店のドアを開けた
「図書喫茶 文猫軒 珈琲1杯400字」
ドアに描かれた金色の文字が裏返しになっている。
店内は図書喫茶と銘打っているだけにあちらこちらに大小様々な本が並べられていたり、積み上げられたりしていた。その隙間を埋めるようになんだかわからないガラクタもあちらこちらから顔を出している。どうやら普通の喫茶店ではないらしいことは確かなようだった。
これだけ本やガラクタが積まれていれば、独特の本の香りやホコリっぽさがありそうなものだが、店内はエプロン姿の店員の手元から薫る珈琲の芳ばしい香りで満ちていた。
「いらっしゃいませ」と顔をあげた店員の程近く、ぶち猫がぐうたらと寝そべっているカウンター席に腰掛ける。
正方形のメニュー表にも、ドアに書かれたように値段が円ではなく「字」と書かれている。パラパラとメニューを見渡した頃合に気泡が煌めくガラスのコップが運ばれてきた。
「ご注文はお決まりでしょうか」
黒板にあった文字を思い浮かべながら「てっきりこちらがご注文される側なのかと思いました」---注文の多い料理店の山猫軒のように---こういうお店は外面だけの事も多いとよく聞くが、どうなんだと意地の悪い笑みを浮かべて店員を仰ぎ見た。店員は数度瞬きをして、ふふふ、と口元に手をやりながら笑った。
「お客様自身が料理の具材、ということはございません。だって一口で食べてしまうのは、勿体無いでしょう? ただ人を食べたいだけならこんなお店、ご用意いたしませんよ。山猫軒の親分も人の様子を眺めるのが楽しくてああやって、『料理』をしたのでしょうね。」
楽しくて仕方ないというように彼女の目が細まり意地の悪い笑顔で返される。
「だからあなたの「言葉」をいただくのです。あなたが楽しませてくれるのなら、何度でも味わえるように取っておきたいと思うのですよ。あなたのご注文は私からのご注文でもあるのです。あなたは珈琲の1杯分でどれほど私を楽しませて頂けるのでしょうか?」
面倒なお店に入ってしまったものだと思う横で、店員はひとつ咳払いをして、フォークとペンのロゴが入ったエプロンの裾をただした。
「さて、お話が長くなりましたねご注文はお決まりでしょうか?」
ある日の文猫軒。
974字 珈琲とサンドイッチのお題には少し足りず、